『グレンラガン』の次を行く『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』
相も変わらず、アニメ『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』を見てる。哲学さん超大好き。
あんまし人に勧められるアニメでもないんだけど!
それはともかく、表題。
アニメ『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』を作ってるスタッフは『天元突破グレンラガン』と同じスタッフであり、監督も同じ。
まあ、グレンラガンが、というよりも、今石洋之監督の作家性の問題になるのかな。
今石監督の根底に流れるアナーキズムが『グレンラガン』から更にアニメ『パンスト』で押し進められてる。
アナーキズムっていうと、よく言われる翻訳は『無政府主義』。自由主義とはまた違う。
この概念を説明するのは難しいんだけど、このグレンラガン・パンストの流れで言えば、単純に『反体制/反支配』が近いかな。
あるいは、『無法者』とかね。
一番分かりやすいのは『ワンピース』のルフィ。
「海賊王、てのはこの海で一番自由な奴のことだ!」(うろおぼえ)
分かんないなら、アナーキーつったら、まあ、ルフィみたいなやつらだと思ってしまえばいい!
ともかく、権威を否定して、何者かに支配されることを否定する。そんなやつら。
そもそもが、グレンラガンのメインプロットが支配者に対する反逆なんだよね。
今石監督作品は常にルールとかしがらみと戦っているのだ!(言うほど哲学さんは今石監督フリークでもないけど)
グレンラガンで行くと、まず第一話。はい、この時点でもう確定。
第一話の敵はガンメンなんかじゃない。
「昔っから地上なんてものはない。村長のオレに従うのが正しい。昔っからそう決まってる」
とガチガチに「既定概念」と「村の決まり」を押しつけてくる村長こそが第一話のラスボス。
そこへ、カミナが
「地上はあるっ! 行くぜ相棒!」
とアナーキズム全開で飛んでいくのがメインテーマなのさ。
そして、ロシウが出て来る第五話。
閉鎖した村で、神父が「村のしきたり」を作って、人々を統治している。
少ない資源をやりくりするために大多数を救う為に少数を犠牲するという、やり方で確かに村は安定したけど、とても陰惨な村になってしまってる。
カミナも、「うちの村長に似て気にいらねぇ」と言って一話との反復をしめしてる。
で、村の少年ロシウは生まれ育った閉鎖した村ではなく、カミナやシモンと一緒に、アテのない荒野を旅する道を選ぶ。
タイトルも「オレには全然わからねぇ」とかアナーキズム全開。
んで、そこから螺旋王ロージェノムと戦う話になるのだけど、螺旋王ロージェノム自体が、人類を地下に閉じ込めて、ルールを押しつけて統制するという恐怖政治の体現者。
一話目の村長、五話目の神父、と続けてともかくルールを押しつけてくる支配者なのね。しかも、結構理不尽なルールを一方的に押しつけてくる。
ただ、同時に彼らはそのやり方によって長い間統治に成功もしている。
村長は地下世界で生きていくのに昔ながらの方法で、統治する。
神父は資源の少ない村で、間引きをすることによって、やはりなんとかやりくりして統治する。
そして、螺旋王ロージェノムは実は人類の守護者。人間が地上に出ると宇宙からアンチスパイラルが襲ってきてしまうから人類を地下に閉じ込めた。地震とかで生き埋めで死ぬ可能性はあるけど、宇宙人には殺されない、『籠の中の安全』を人類に提供した。
でも、どのやり方も新しい世界に踏み出すことなく、殻に閉じこもるやり方なんだよね。
神父は自分のやり方が確実に正しいとは言えないけど、他に方法がないので苦悩しながらも村人を間引いていく。
ロージェノムは、元来は宇宙人と戦う武闘派だったのに、敗北によって自分の惑星に押し込められ、同胞を監視する役割まで押しつけられ、『千年の倦怠』に悩まされ、挙げ句、自分の娘を次々に生ませては捨てるという狂った行為に走ってる。前に出ようとしてやっぱり諦めてる。
彼らはある種、統治者として間違ってないし、領民を守ってはいるけど、やはり矛盾がある。
で、それを支配を嫌うアナーキストであるグレン団が打破して、人類は地上に解き放たれる。
でも、支配者を倒してしまうことによって支配を嫌うアナーキスト達が逆に支配者側に回るという矛盾が生じてしまう。
結果、シモンを初めてするグレン団の無法者達はデスクワークに圧殺されて邪魔者扱いされてしまう。
結局実権は、ホワイトカラー(文官系)のロシウが握るんだよね。ロシウはなんのかんのでアナーキストじゃない。
パンストのガーターベルトの役割。二人とも同じ神父系の服着てる。ていうか、ロシウの師は神父だしね。
で、結局螺旋王倒したはいいけど、今度は宇宙からアンチスパイラルっていう、ルールを押しつけてくる停滞主義者の宇宙人が攻めてくる。
しかも、実はそのアンチスパイラルもロージェノムと同じでもともとは同じ種族なのに、支配者側になってしまったという設定。
歴史は繰り返される。同じ失敗が続けられる。
んでも、同じ失敗をしても、そのたびに少しだけ前に進む。それがドリル。螺旋なんだよ!
て感じで、何度も失敗しても、ドリルの回転と同じで少しだけ前に進むことが出来るからダイジョーブ的な感じでアンチスパイラル撃破。
そして、シモンは結局支配者ではなく、一人の人間として、アナーキストらしく下野することになる。
やっぱアナーキストは支配者になっちゃダメだよ。
で、そんなシモンが風穴を開けた世界で、じゃあアナーキストはどんな感じで生きていけばいいのか、てところでその少し先を行くのがアニメ『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』な訳だ。
神の使いであるはずのパンティとストッキングの姉妹はともかくやりたい放題の無法者。
ていうか、名前がアナーキー・パンティとアナーキー・ストッキング。名前からして無法者でルールになんか縛られねぇ!
そこへやってくる彼女たちの敵は悪魔。
そして、悪魔達はルールによって人々を縛るタイプの人間。
そう、グレンラガンから通してひたすら主人公達が戦い続けるのはやはり『体制』であったり、『支配者』。
しかも、悪魔達の上司は『市長』。
この物語は『ダテンシティ』という市が舞台。そこの行政の最高責任者が悪魔達を裏で手を引いている。
構図的には実は『獣人』を使って人類を支配していた『螺旋王』の関係と一緒。
そう言えば、螺旋王が作った『獣人』達も実は人類以上にルールに従順で、特にヴィラルはルール遵守型の人間で毎回上司に酷い目に合わさせれる中間管理職タイプのキャラだった(笑)
それで、ヴィラルや螺旋王は否定されたし、今回のパンストでもそう。
スキャンティ「天使の癖に人間を見殺しにするおつもり?!」
パンティ「アタシ、やりたい事は我慢できない。今一番やりたいのはアンタを潰す事」
スキャンティ「なんなのですかアナタ達! 天使といえどもルゥゥルの一つや二つはあるでしょうに!」
パンティ「ヴァーカ! ルールは破るためにあるんだよ」
スキャンティ「クソ天使がああぁっ!!」
てな感じで、彼女たちはアナーキーで、ルールブレイカーなんだよね。
ともかく、決まり事を破る。新しいことに挑戦する。
んで、今回の放送にあったミュージッククリップみて哲学さんは軽く感動したね。
様々な洋楽の有名なジャケットをパロりつつ、パンティが歌うんだけど、クライマックスの歌詞がいい。
途中で全裸になってパンティが歌うシーンの歌詞がこれ。
I know you know
those wings inside of you
I know you know
they do get naughty too
Before I go
there is something I want to say
Your sleepy anarchy
wake it up, wake it up
この歌のサビは『Anarchy Everyone wants to be me』(アナーキー。みんな私みたいになりたがる。)なんだけど、それが繰り返されたところで、不意に転調して上の歌詞が出て来る。
私はあなたに翼があることを知って欲しい。それを手に入れることが行儀の悪いことであることも。
私がイッてしまう前に、あなたに伝えたい。
あなたは眠れるアナーキーであることを
さぁ、目を覚まして! 目を覚まして!
乱暴に訳すとこんな感じ? 間違ってたらごめんよ!
この目覚めて、のところで、彼女たちの足かせが解き放されて、背中から天使の翼が映えてくる。束縛からの解放を分かりやすく表現してる。
『Everyone wants to be me(みんな私みたいなアナーキーになりたがる)』んだけど、これを見てるみんなもアナーキーになれるんだよ。翼が眠ってるだけなんだよ。
ルールを破ることは行儀が悪くていけないことだけど、でもそれはあなたを解き放つ翼なんだよ!
アナーキズム全開! ルールは破るためにある! 新しいことするなら既成概念に囚われちゃ駄目だぜヒャッホウ! まあ行儀悪いんだけど!
グレンラガンはそれをドリルを通して伝えていたけど、パンストは下ネタを通して伝えているんだよ!
と、まあそんな話。
あと、ガイナ作品は何度もパロディを繰り返すけど、パンストは特にそれが顕著。
さっきのPV見れば一目瞭然だけど。
でも、パロディって元ネタに更に自分の要素を加えて少しだけ前に進むんだよね。
それって、シモンのドリルと一緒だよね。
と、そこで手元のハガレンの最終巻で気付いた。
アル「10もらったら、自分の1を上乗せして
11にして次の人に渡す。
小さいけど、僕達が辿り着いた「等価交換を否定する新しい法則」です」
あー、成長するってそうだよね。パロディってそうだよね。シモンのドリルと一緒だね(←しつこい)。
まあ、ギャグアニメだけど、こんな見方もあるよ、というところで締め。
そんな訳で
なんかやたら日記が長くなった哲学さんです。
長すぎて、色々とうろ覚え。ていうか、120分の細かいあらすじとかマジ勘弁。
とりあえず、アクションあり、ストーリーありでとても楽しかったです!
いい映画でした!
劇場版『ガンダム00』感想
いやー、寝坊したけど、なんとか見てきた!
色々と面白かった!。
とはいえ、見た後は最初の数秒はぽかーんとしたけど(笑)
余りにも情報が多すぎて、整理に戸惑ったわい。
とりあえず、うろ覚えだけど、あらすじ付き感想を下記へ!
ネタバレ全開なのでネタバレ見たくない人は見ないでね!
あと、細かい台詞はうろ覚えなので、信じないでください。こんな感じの台詞を言ってたな〜てうろ覚え記憶です。
そんな訳で
主人公役のジェイデン・スミスがやたら可愛かったなぁ、と思う哲学さんです。
いやぁ、ベタというか、王道なストーリーなのだけれど、よかったですよ。
新しいものを見たい、という人には物足りないかも知れないけれど、面白かったですっ!
(一緒に見に行った友人は「でも、この話に1800円は高いわー」と言ってました。まあ、だから安いレイトショーで見に行ったのだけれど)
12−13歳くらいの子供達がメインだからアクションどうかなー、と思ったけど決勝も色々と楽しめました。
ちなみに、帰り道に一緒に見に行った友人が言った一言。
友人「しかし、お母ちゃんがデトロイトの車会社から中国の車工場に転勤とかリアルすぎるわ。もう、デトロイトの車産業はダメなんや。中国の車工場に行ってしまうんやな。あの最初のシーンを見て『ああぁぁぁ、アメリカ経済オワットル!!!』と思ってしまったわ」
なるほど、その発想はなかった。そうだよなぁ。微妙に主人公の家庭の設定が重いですよねえ。
しかも、中国が嫌だ! とか言ってもママは「もうデトロイトには帰れないの、ここがウチなのよ!」とか叫ぶシーンとか見てて「あぁぁぁうあぁぁぁ」みたいな。
それで、「どん底から這い上がるかどうかは自分次第なんだ」と言うメッセージ。
経済破綻したアメリカから中国なんかに行っちまってどん底だけどそこから立ち上がるかどうかは……とか変換してしまいますよね。
いや、ふつーの人はそんなこと考えずに普通にエンターテイメントとして楽しめばいいんですよ! ええ!
あと、黒人の少年が主人公なのはオバマさんが大統領だからやろうかーとか色々と友人とマクロの話とかしました。
まあ、そこまでの裏読み深読みとか普通はしなくていいっす。少年が強くなって、感動!でいいと思います。
なんにせよ、面白かったです。
というか、最近島本和彦先生がGガンダムをコミック化してて、Gガンが熱いのだけれど、そこにきて「明鏡止水」が取り上げられて哲学さん的にヒットしてました。
武術だと最終的にそこは通過しないとね〜。明鏡止水に到達しないと石破天驚拳を習得することなど夢のまた夢ですよねー(違)いや、12歳の少年にそこまで求めるのはおかしいですが(笑)
いや、ドレならきっと修行の旅の途中に師匠とはぐれて狼の大群に囲まれても怖くて動けないなんて事は……あるかな。うん。「殺されちゃうよ」とか言うよね。無理無理。
まあいいや。とりあえず、島本版Gガンダムでマスター・アジア師匠が早く登場するのが待ち遠しいです。
リメイク版 『ベスト・キッド』(2010)を見てきた!
近くでやってるのが吹き替え版しかなかったので、吹き替え版を見に行った。
面白かった。
基本的なあらすじは前の映画と同じなんだけど、主人公の黒人の少年ドレ・パーカーの子が凄くショタ可愛かった。
しかも、吹き替えの声が『クレヨンしんちゃん』で「しんのすけ」の声をしている「矢島晶子」さん。
やばいくらいにショタかわいいの。行動とか、いちいち子供っぽくて(笑)
ヒロインがどうでもいいくらいにショタかわいいドレくん。
ウィル・スミスの息子のジェイデン・スミスくんがやってんだけど、はまり役だったなぁ。
で、後ジャッキー・チェンのアクションもよかった。
少年相手とはいえ、6人を相手に凄いアクションだった。
あと、ライバルのチョンが凄い「いじめっ子顔」だった。これはいい、一目で分かるいじめっ子(笑)
あれはスタントなのか本人なのか分かんないけど、初めて会った時、きっちりカンフーの動きしてた。
彼のえーと、あのケリ方なんだっけな? ヤクザ蹴りみたいな、あれ。あれが彼の決め技だと初登場から印象ついて、その後も一貫して動きに特徴があった。
後、修行のシーンが、ありきたりとはいえ、ジャケットの「脱ぎ・かけ」の繰り返しで、「カンフーは全ての生活の中にある」とするのにニヤニヤ。でも、その意味を教えるシーンは最初「それはねぇぇよぉぉぉぉ」と思った。言いたいことは分かるんだけど(笑)
あと、ジャッキーのハエを潰したり、歯磨き粉のキャップを飛ばすシーンが地味に好き(笑)
しかし、本格的な修行に入ってから、北京の町中で修行してると思ったら、いきなり万里の長城で修行してて、また北京のベランダの屋上で洗濯物越しにパンチを受け止めてる……と思ったらまた万里の長城で修行して、と繰り返すシーンは「うーん、あの距離をいちいち移動していたのだろうか」とどうでもいいことを考えてしまった。いや、きっと地理なんて気にしてはいけない。あれは万里の長城じゃなくてなんか近場にある山の古城なんだ、きっと!!
で、ここからはラストシーンのネタバレなので、未見の人は読まないでくださいな。
続きを読む<そんな訳で>
すんげぇ強引にまとめた哲学さんです。
元々この一連の記事は、最後についてるペトロニウスさんの記事を読んで、00年代の物語の類型の流れは仮面ライダーを追っていくことでも説明できるのではないか、と思って書こうとしたんですね。
あと、せっかくなつみかんオフで次の時代の物語について語るなら、00年代についてまとめたいじゃないですか!
で、上の様なキーワードを並べてだそうとしたけれど、肝心の平成仮面ライダーを知らない人が多い。だから、まずは平成仮面ライダーのあらすじを全部書きました。
その上で、結論として今回の記事になったんですけど、いかがだったでしょうか。
00年代が、こういう物語を追ってきたんだなぁ、とか思えたら幸いです。
ただの思い込みだろ、と思ったら、うん、それも否定しないです(笑)
でも、毎年毎年全然違う話を作ってる平成仮面ライダーシリーズですが、こうして眺めたら共通があって面白いなぁ、と思いました。
というか、ひさびさに小説以外の長文書いて楽しかったです!
ていうか、仮面ライダーキバを一から見直したい!
以上、哲学さんによる00年代考察でした。
<仮面ライダーからみる2000年代の物語 まとめ>
さて、色々と仮面ライダーの10年間を見てきたが、最後にざっとキーワードでまとめよう。
それぞれの仮面ライダーを知ってる人はここから読んでも構わないですけど、知らない人は前日の記事を読んでいくといいかもしれません。
○2000年 クウガ
『超古代文明との対決』『分かり合えない敵との戦い』『リアル志向(高2病)』『緻密な設定』『自己犠牲型主人公』(みんなの笑顔の為に戦う)
○2001年 アギト
『人類と進化した新人類』『神と天使』『創造主への反乱(=not神殺し。神さまほっといてくれ系)』『仙人型主人公(新人類)』
○2002年 龍騎
『バトルロイヤル』『それぞれの正義』『他者の正義(価値観)の肯定』『異空間バトル』『ループ構造(パラレルワールドでいい結果が出るまで何度もやり直し)』『カードバトル』『勝者はなんでも願いが叶う系』『自己犠牲型主人公(人間を守るために馬鹿馬鹿しい戦いを止める!)』
○2003年 555
『人類と進化した新人類』『夢敗れた者達』『夢の守り手』『無気力系主人公(自分にはやりたいことがない。けれど、夢を持つ人を守る為に戦う)』
○2004年 剣
『バトルロイヤル』『カードバトル』『仕事がヒーロー』『人の心を持ってしまった化け物』『自己犠牲型主人公(化け物の友人を守るために、自分も人間をやめて化け物に)』
○2005年 響鬼
『妖怪もの(=自然主義的)』『和風』『師と弟子』『終わらない日常』『頼れる大人』『仕事がヒーロー』『地に足のついた人生』『母子家庭』『少年の成長』『鍛錬系父性主人公(自己を鍛え、人間として完成している。子供が目指すべき大人としての主人公。30代)』
○2006年 カブト
『宇宙人もの』『人間に擬態する化け物』『異種族との共存』『高速世界』『軌道エレベーター』『タイムスリップ』『隕石で世界崩壊』『世界の全てを敵に回してもたった一人の大事な人を守る』『中二病』『説教系主人公』『天才型最強系主人公』
○2007年 電王
『時間旅行もの』『化け物とのバディ(相棒)もの』『人間の記憶と過去』『未来からの敵』『不幸な主人公』『憑依型変身』『肉体的最弱主人公 (しかし、誰よりも強い心を持つ)』
○2009年 ディケイド
『クロスオーバーもの』『リメイクもの』『情報圧縮』『異次元の旅(ロードムービー)』『物語の破壊と再生』『世界の拒絶→受け入れ』『説教系主人公(=ハーレムメーカー。異世界の仮面ライダーを説教することによって、実はその世界の仮面ライダーを口説いていたと捉えられる)』
ざっとこんな感じ。
こうしてみると、平成仮面ライダーは『異種族との共存』ものが多い。これは、制作スタッフ側の一つのグランドテーマなのだろう。
ていうか、『クウガ』と『響鬼』以外は全て、『違う価値観を持つものといかに共存するか』を模索してる。それって、善悪二元論の克服を目指していた、と言えるかな。
一方、『クウガ』と『響鬼』は頼れる大人とか、「理想的な人間像」みたいなものを追ってる感じ。
それから、『響鬼』『カブト』『キバ』『ディケイド』は過去から未来への時間軸の幅が長く、物語に積極的に『歴史』を取り入れていってると思う。
大きな物語を語るためには、やはり、その世界で歴史の流れを形成していくことが本流になってると思う。
そして、『ディケイド』は今までの物語の『クライマックス(=『祭壇』)』を何度も繰り返し、その先へと進もうとした。(その先に行けたとは言わない(笑))
後、10年間の最後の『ディケイド』が、今までの資産を上手く利用して、『情報圧縮』を利用した物語にしてる辺りが、とても2000年代の終盤の物語だと哲学さんは思う。
あーあと、意外と「共同体から突き放されて役割のなくなった人間/現実をリアルに感じられない人間」ていう00年代の病みたいなものの主人公が少ないか。『555』と『キバ』と『ディケイド』がその傾倒だけど。
ああ、08年と09年に集中してる辺り象徴的。
後、ループ物とハーレムメイカーをなにげに抑えてるのはポイント高いなぁ。
うん、大体ペトロニウスさんの記事に近い結論になったかな。
1990年代から2010年代までの物語類型の変遷〜「本当の自分」が承認されない自意識の脆弱さを抱えて、どこまでも「逃げていく」というのはどういうことなのか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100521/p1
00年代は過去の資産を色々と有効活用しながら、二元論の超克を目指して、丘の向こうの新しい物語を目指していた――それは仮面ライダーでも同じだった。
……ということにしておこう。