<劇場版『君の名は。』について>

 今更だけれど、『君の名は。』についてこんな読み方をするのは邪道だ。
 もっと青春とか、甘酸っぱいものについて感じ、消費するべきだ。
 SF的な話とか、時間トリックなんて、些末なガジェットで、お話の本筋はそんなところにはない。
 一組の少年と少女の出会いの物語をニヤニヤして見守ってやればいい。
 でも、哲学さんが語りたいから語ろう。


 すぱっと本筋を飛ばして結論を述べればティアマト彗星という危機があって、二人はそれを乗り越える。
 でも、悲しいかな、それは時間軸を変え、世界の歴史を変える大事だ。
 様々な要因はあるのだけれど結果的に、瀧くんと三葉は互いの存在を記憶の中から忘れてしまう。
 ポイントは、二人とも記憶をなくしてしまうこと。
 エンポリオ少年は、唯一人だけ改変前の世界から生き残ったので前の世界の記憶を持っていた。だから別人に転生していたとしても、相手のことがはっきりと分かった。
 彼と同じように、タイムスリップものやループものは主人公だけは今までの記憶を保持していることが多い。 
 細田守監督の『時をかける少女』もその類だろう。
 これを明確に能力として持っているのが『シュタインズ・ゲート』の岡部倫太郎だろう。リーディング・シュタイナーがそれ。後、『サクラダリセット』の主人公の浅井ケイもリーディングシュタイナー系の能力者だ。どれだけ世界が改変されても自分だけは消えてしまった過去の人々の行いや想いを忘れない。
 でも、瀧くんと三葉は違う。二人は行ってきた行為そのものは残っているし、存在そのものは維持されているが相手のことは覚えていない。
 ただあるのは喪失感だけ。
 東京という何百万人もの人間が行き交う街で、果たして出会ったとしてもお互いのことなんて認識出来るはずがない。
 それに、出会ったとしてどんな言葉をかければいいのだろうか。
 その答えは劇中にある。
 三葉がとある事件をきっかけに東京に行った時のことだ。
 出会えるか分からない。出会えたとして、なんと声をかければいいか分からない。
 けれども、三葉には確信があった。
 もし出会えばきっと、すぐに互いのことが分かるだろうと。
 そして奇跡は起こる。
 とある電車に乗る瀧くんをみつけ、三葉は走り出す。
 そして、はにかみながら、嬉しそうに声をかける。
「瀧くん……瀧くん」
 相手のことが思った通りはっきりと分かったうれしさと出会えたといううれしさに満ちた彼女に――しかし、瀧くんは。
「え? 誰?」
「覚えて……ない?」
 絶望。
 彼女の中にあった確信が崩れた瞬間。
 彼女は失意のまま家に帰り、髪を切る。
 そして彗星を見上げながら死んだ。
 しかし、その失敗には理由があることが後で明かされる。
「お前さぁ……知り合う前に会いに来るなよ」
 彼女の死後に起きたさらなる奇跡の中で、『初めての再会』をした時に瀧くんは笑う。
 誰彼時の中、二人は語り合い、そして別れる。記憶を失って。
 それでも、二人の出会いが生んだ想いが苦難を乗り越え、世界を変えるのだ。
 そして八年(あるいは十一年)もの時が過ぎ、彼らは出会うことのないまま、すれ違い続ける。
 けれども、ラスト。
 併走する電車の窓で彼らはもう一度再会することに成功する。
 目と目が合う。
――どんなことがあったって、出会った瞬間に分かる。――
 三葉の確信が現実のものとなる。
 二人は電車を飛び降りて、街を駆ける。
 別々の駅で降りた二人が、必死に東京の街を歩き、さっき通り過ぎた電車に乗っていた相手を探す。
 そして、出会う。
 だが、なんと声をかければいいのか。
 二人が共有するものは何もない。どこに住んでいるかも、どんな生き方をしてきたのかも、何も知らない。
 でも、きっと相手が自分が探し続けてきた運命の相手なのだと、それだけは分かる。
 言葉が見つからないまま、二人は再びすれ違う。
 昔、知り合う前に東京で出会った時は三葉の方には記憶があったが今はない。
 二人はすれ違い、通り過ぎ――――――振り返る。
「あの、俺達、昔どっかで会ったことが会ったと思います」
 精一杯の勇気を振り絞った彼に、彼女はほほえむ。
「……私も」
 二人は確信する。
 互いに心が通じ合えたのだと確信する。
 そして二人は互いに訊ねる。
 申し合わせたように、口を揃えて訊ねる。
「「君の名は?」」



 『出会い』は『重力』。
 『引力』、すなわち『愛』っ!!
 あまり多くを語れば、大切な物が端からこぼれ落ちてしまうから哲学さんとしてはこれ以上あまり言葉を重ねたくない。
 でも、この二つの物語を並べて、何か感じいることはないだろうか。気のせいだろうか。
 『ジョジョ』が未だに先を行っている面もあれば、『君の名は。』が更に到達出来た地点もあると思う。
 これを言葉にしてしまうのは野暮と言う物だけれど、それでもあえて言えば――。
 二人の人間が通じ合い、通わせたものが消滅して、全てを失って引き裂かれたとしても、それでももう一度『出会える』と言う奇跡。まさにシュタインズゲートの選択!
 ジョジョはまだエンポリオ少年の方は覚えていたけれど、こちらは互いにお互いのことは忘れてしまっている。難易度はエンポリオの時よりも上がっている。
 でも、もう一度出会えばきっとわかり合える。
 人々の出会いは『重力』であり、『運命』。
 運命に祝福された二人はきっと、もう一度出会える。そして、わかり合える。
 そんなことを劇的に、素晴らしく分かりやすく描いた『君の名は。』はやっぱりいい作品だったと思う。
 そして、この作品に出会えてホントによかった。
 そんな所で筆を置く。