変人の思考

 まあそれはともかくとして、論理が飛躍することは別に不思議なことではない。けれど、それが余りに多すぎると「電波」とか「不思議ちゃん」とか「天然」とか「変人」とか言われるのである。
 「突拍子もないこと」を言ったり、「突飛(とっぴ)」なことを言ったりすると、少なくとも周りがそれについて行けなくなる。
 しかし、これは知識量の差でも起こりえる。論理の飛躍は間の過程が省かれている訳だが、別にその間が何もない訳でもない。その省略された「過程」が共有することの出来る人がいれば突飛な話でも会話が成立するのである。
 会話の際に本人達が持つ知識のバックボーンが重なれば話が飛躍してもついていける。そして、オタクと一般人の分かれ目とかがそこら辺かもしれない。


A「あの赤い車早いよねー」
B「通常の三倍早いな」
A「え?」
C「いや、見た目だけで実際は1.5倍だけさ」
A「は? ……あ、青い車が抜いてった」
B「ザクとは違うのだよ、ザクとは」
A「???」
C「なぁに、モビルスーツの性能が(以下略」

 『赤い』というキーワードだけでいとも簡単に論理が飛躍している。いや、BとCにとっては全然飛躍してないと思っているだろう。
 まあ上記の例のように、バックボーンが近い人間同士なら論理が飛躍しても相手もその飛躍についてきてくれる可能性が高いのである。
 とはいえ、これでは知識を共有していない人間との間に大きな齟齬が生じてしまう。なので他者とのコミュニケーションをとる際にはなるべく平易な言葉、分かりやすい言葉を使うべきだろう。

 とはいえ、この突飛な発想・論理の飛躍は創作に置いては逆にとても重要で必要なことだ。
 通常ではあり得ない事、あるいは起こりえない事を題材とすることによって「ファンタジー」や「SF」を生み出すことが出来るのである。
 私は日常生活のどうでもいいことから「お、これは物語に出来るな」と思ったりする訳だが、その秘訣はこの「飛躍」にあるんじゃないか、とさっき風呂に入ってて気付いた。
 ふとしたことを「飛躍」させて物語を閃く。これによって私のプロットは完成する。これはいい。
 でも、私は『飛躍』するのは得意だが、地道に積み上げるのは苦手らしい。物語の最初と顛末を大体思いつくのだが、それを一から詳細に並べていくのがヘタなのである。なんでもかんでも飛躍しようとするからである。
 では、どうすればいいのかというと……つまりは自重しろという事である。
 自重。
 今、哲学さんには自重が足りない。