宋江になりたい

 北方水滸伝を全巻読破した。
 ペトロニウスさんが読んでるのがとても楽しそうだったので是非読みたいと思って、買ってから仕事の合間に読みつつ、ここに来てやっと読破。長かった……。
 ああ、しかし、なんと壮大な物語だったのだろうか。そして、最後まで読んで――って終わってねぇぇぇぇぇ!! 楊令伝ばりばり書く気だよ!と思わず突っ込んでしまった。むぅ、これは楊令伝に手を出さざるを得ない。
 でもその前に、北方水滸伝の解説というかエッセイというかそれっぽいものを集めた「替天行道」読んで、それからまずはグインサーガに手をだそうかと。
 北方水滸伝の面白さを語り出したらきりがないのだけれど、取りあえず哲学さんが購入を決意したのはペトロニウスさんの7/25の日記だろうか。

 ざっとあらましを述べれば、宋の時代の中国で、宋江という一人の男が腐ったこの世の中をなんとかしたいという志を述べた著書「替天行道」に共感し、次々と実力はあるものの腐敗した政治や軍部に嫌気をさしていた人間、あるいは力を持て余していた男達が集まり、「天に替わって、道を行う」――すなわち理想の国家、民衆にとって素晴らしいよい国を造るために「宋」という国を打ち倒し新しい理想の国を造ろうと梁山泊へと集まっていき、宋という大国と戦っていく話……でいいか。
 しかし、そこに集う男達がどれも熱い男ばかりで読むたびに心が震える。

 傑作とは人の心を動かすものだ。読んだ人の心を動かし、人生を動かすものだと哲学さんは考える。
 哲学さんは理想家でロマンチストで、ほんとどうしようもない夢想家だ。
 物語の可能性というものを信じてしまっている。
 例えば、アトムでもドラえもんでもガンダムでもいい。あれらの作品を見て、ロボットを造ろうと科学者になった人間がどれだけいるだろうか。キャプテン翼に憧れてサッカー選手を目指した少年達がどれだけいるだろうか。それは決して少なくないと思う。
 古来より哲学者や思想家達は物語を紡いできた。ニーチェは「ツァラトゥストラはかくに語りき」を書き、サルトルは「嘔吐」を書いたりした。その点で言えば、世界最高の思想家による著作ってきっと聖書だろうなぁ、とは思う。
 これはテレビで見た話なので本当か分からないのだけれど、タバコを日本に流行らせたのは福沢諭吉であるという。
 それまで江戸時代の農民は生かさず殺さずの江戸幕府の方針でタバコなどの嗜好品は禁じられていた。
 で、明治政府が税金を稼ぐためにたばこ税を導入しても、農民以外の士族や元町民・商人はタバコを吸う事はあっても、日本の人口の8割を占めていた農民達は金を出してまでタバコを吸おうなんてしなかったという。
 そこで、困った明治政府が福沢諭吉に頼んだところ、福沢諭吉
『文化人といふものは、煙草を嗜むものである』
 的なことを新聞に書き、それを読んだ日本人は煙草を吸うようになったとか。嘘か本当か知らないけど、凄い話である。
 でも、人の紡ぐ物語はこんな感じで人を動かす力があるんだと哲学さんは信じている。
 サルトルは「文学は飢えた子供のまえでは無力だ」と言ったけど、無力じゃないと信じてる。

 まあ、そんな哲学さんだから、読んでいてもう、宋江が羨ましくて仕方がない。出てくる豪傑達のみんながみんな宋江の書いた『替天行道』に感動して、「こうしちゃおれん。世の中を変える為に戦わないと!」と次々と立ち上がっていくのだ。凄い。凄すぎる。なんて羨ましい。文字読めないヤツラもその話を聞かされて感動したり。無論、人間なので中にはダチが参加したので俺も……みたいな人もいるのだが、それはそれで立派な志である。
 よく宋江梁山泊の頭領にふさわしくないと言われるけれど、ここまで数多くの人間を動かしただけでもこの宋江という人間がとてつもない男だと哲学さんは思う。凄い。凄い嫉妬する(笑)
 たとえばの話、島本和彦先生の「吼えよペン」でこんなくだりがある。
 主人公である漫画家「炎尾燃」は仲間の漫画家達にこんな独白する。

「今の子供達が無気力なのは――俺達のせいだ」
「……お、俺達のせいなのか」
「ああそうだ! 俺達が軟弱な話を書いてるから子供達まで軟弱になってしまったんだよ!」

 うろ覚えだけど、こんな感じの会話があったはず。(確認してなくて申し訳ない)
 この感覚を常に哲学さんは大事にしたいと思う。
 富野監督も、Zガンダムで劇場版を造った時、そのパンフレットに「25年前にカミーユが最後に心が壊れるラストにしてしまった。そのツケが今回ってきていて、今の子供達はとても鬱になってしまった。僕にはその責任があると思う。だから、今の子供達に向けて、もっと、新しいZガンダムを造りたいと思った」的なことを書いていたと思う。(ソースが曖昧で申し訳ない)
 今の世の中、子供達が無気力・無関心だったり、鬱病だったりすることに一流のクリエイター達は責任を感じている!、そう思うと哲学さんは物語の可能性を信じているのは自分だけじゃない、と思う。
 いい物語を読めば、傑作に触れればその人はきっと心がいい方向に向き、きっと世の中はよくなるはずだ。不二子藤雄先生達の著作なんかは確実に今の日本をよくした原因のひとつだと信じている。世の中には――特に先進国日本には世界では類を見ないほどの玉石混淆ではあるものの数多くの物語が存在し、数え切れない程の傑作達がアニメ、漫画、小説、映画、様々な分野にある。傑作だけ抜き出しても、それらは一生かかっても全て読み切れないほどの量があると思う。
 これだけの物語が溢れてるのに、それなのに、なんで世の中はよくならないのか。いや、今の日本を過去よりも悪いモノだと弾劾するのは一概に正しいとは思わないけれど。神戸の酒鬼薔薇事件とか、少年犯罪がニュースで騒がせた頃、漫画の過激な表現が原因じゃないかと騒がれたりした。それはとんでもないことと哲学さんは思ったものだ。あんな面白い漫画とかゲームしてて、それが原因で犯罪に走るとかあり得ない!とか。
 とはいえ、物語がいくら素晴らしくても、受け手がそれをきちんと受け取れるかはまた別の話で、「ひぐらしのなく頃に」とかも、途中までしか見てなかったらただのホラーでしかないのは否定出来ない。
 実際に過去の日本でも北一輝の本を読んでテロを起こそうとした青年将校達がいたり、『ツァラトゥストラ』がナチスプロパガンダにされてしまったりと、物語が悪い方向へと世界を変える力をもっているのも確かだ。
 でも、やっぱり哲学さんとしては、宋江みたいに自分の著作で100年後くらいの日本を凄くいいものにしたいと思う。
 世の中をよくしようと思ったら、一人の英傑がいても仕方ないと哲学さんは思うのだ。坂本竜馬桂小五郎は確かに必要なのだけれど、まずその前に高山彦九郎や、佐久間象山吉田松陰が必要なのだ。

 実際に、宋江みたいなどちらかというと「思想家」が上に立つとあんまし成功する例は少ない。とはいえ、現代の日本でも宋江みたいに自分の志で旗を立てて人を集めた人物がいる。アントニオ猪木氏である。あの人の政治家としての成り立ちとかは宋江梁山泊のトップに行き着くのと何か同じ匂いを感じる。まあ、今の日本で似たようなことをしてしまうと「タレント議員は害悪だ!」とか言われてしまうのだけれど。ただ、このタレント議員のおかげで、ロシアから北方領土が取り返せたかもしれないのだ。佐藤優氏の「国家の罠」辺りを読めば、ロシアとの交渉でアントニオ猪木氏がいかに重要な役割を果たしたかが分かると思う。

 えらく北方水滸伝から離れてしまったけれど、ともかく哲学さんは108の好漢の中でいまいち人気のないこの宋江という男が一巻からこの最終巻まで自分の志を貫いたのを凄く感動しているし、いいなぁ、と思っているのだ。出来うるならば、宋江のようになりたい。そして、実際に世の中を変える実行者は晃蓋に任せる(爆)哲学さんは夢や理想とか漠然とした夢をみんなに振りまいてやる!
 なーんてことを言う哲学さんだが、人間的に誰に一番似ているかというと、多分呉用殿である。読んでてなんかもう、すごく呉用殿に共感してしまうのである。田舎で教師をやっていたのが、世直しを具体的に、戦略的な規模で企画立案した梁山泊最大の頭脳なのだけれど、ともかくこの人が凄い嫌われ者。豪傑揃いの梁山泊に於いて、頭でっかちで理詰めの文官だもの。現場のことは考えないし、おまけに、一言多い。自分が頭がいいことにどこか他人を見下した態度をとるし、他者をねぎらうと言ったことを全くしない。そして細かい事をグチグチグチグチと言ってくるという現場指揮官達から最も嫌われるタイプの人間である。うん、哲学さんにそっくり!(酷い
 ああ、そりゃ呼延灼に嫌われるわ!
 呉用殿の嫌われっぷりを遺憾なく発揮するエピソードとして哲学さんは開封府攻めの話が好きだ。
 敵の最強の将軍「童貫」の率いる禁軍(近衛軍)と対峙している時、呉用は一発逆転の手として「開封府(首都)攻め」を提案する。
 戦線が膠着しているどころか、敵に押され気味なので、ここは敵の意表を突いて水軍で敵の首都を襲ってしまおう、という作戦である。
 ところがどっこい、水軍の大将である李俊とかは無謀だと思って反対するのである。
 しかし、そこで公孫勝が間に割ってはいる。

公孫勝「まあ待て」
李俊「公孫勝呉用の案に賛成なのか」
公孫勝「やる価値があると思った。たとえば、これが宣賛(戦術軍師)の立案なら反対したか?」
李俊「……確かにいい案かもしれない」

 要は作戦自体は悪くないけど、呉用殿の立案ということが気にくわないので自分でも知らないないうちに水軍大将は反対していたのである。陸軍の総代昇格である呼延灼も宣賛(戦術軍師)が失敗したりしても、ことあるごとに「呉用よりマシだ」と言う始末。
 ぎゃー、呉用殿嫌われ過ぎだぁぁぁ! でも、嫌われるのもよく分かるぅぅぅ!
 いつも余計な一言で致命的なミスを犯す哲学さんとしては耳の痛い話。ああ、呉用気質の哲学さんでは宋江への道は遠いなぁ。かといって呉用殿ほど深謀遠慮ではないからなぁ。ノーテンパーのロマンチストな面は宋江寄りなのだが。

 ちなみに、そんな宋江に憧れる呉用みたいなダメ人間の哲学さんが一番好きな好漢は間違いなく林沖。
 別に哲学さんは最強厨だとか言う訳でなく、絶対に林沖にはなれないから憧れる。
 哲学さんは「仕事と女を選べ」と言われたら「仕事」と答えるだろうし、「理想や志と女を選べ」と言われたら理想や志と答えて女を犠牲にしてしまうようなところがある。だからこそ、一度は失敗したけれど、それがゆえに女のために命を尽くす――弱くて強い林沖がやっぱり一番好きだ。でも、憧れはするけれど、林沖と宋江のどっちになりたいかと言われたらやっぱり宋江なのだけれど。あと、呉用殿みたいに頭でっかちな哲学さんは李逵みたいな純真さにも憧れる。まあ、実際に会ったら「お前うるせえよ」と呉用殿みたいに首元に斧を突きつけられていそうなのだけれど。
 でも、そんな呉用みたいな人間でも、絶対に宋江みたいな『替天行道』という傑作を生み出してやる!という志は確かにあるのである。これだけは譲れない。

 まあ、話があっちいったりこっち言ったりしたけど、ともかく北方謙三の『水滸伝』はとても素晴らしく、面白かった、人生がまた一つ豊かになったと思う。さて、いつか『替天行道』のような作品を書けることを目指して頑張ろう。