フレームワーク

 私は基本的に三人称の小説を書く。
 でも、これが微妙に回りくどくて、「一人称よりの三人称」を多用したりする。
 三人称なのに一人称の様に振る舞う。
 そこで私が面白がって使うのが、ぼやけた視点と鮮明な視点の対比だ。
 例えば、内向気味の主人公だとする。すると、どうでもいい日常とか周りの描写をぼやけて描く。学園生活も、「どんな学校」で「どんな校舎」で「どんな雰囲気」で学園生活を送っているかを詳細に書かない。
 なるべく普通名詞を用いて

 今日も彼は学校に登校する。この時間はまだ自分の他には一人しか来ていない。多くの生徒は遅刻ギリギリで登校してくる。けれど、彼はいつも始業30分前に登校していた。なるべく家に居たくないからだ。
 ――とはいえ、学校にいたからといって特にすることもないのだが。
 しかたなく、彼はいつも通り机に突っ伏して一眠りすることにした。

 と言う感じでなんというか「曖昧」に徹する。
 古びた校舎だとか、変な友人が登校しているとか、そういうことを書かない。
 なんでかっていうと、主人公が周囲に対して気を配っていないからだ。どこにでもある普通の風景として認識しているのでそれが特別なものだと感じていない。
 この様な状態を続けておき――ふと、主人公が世界に本当に目を向けた時にぐっと描写を加速させる。

「知らなかったの? いつも朝の教室には君と私の二人しかいなかったんだよ」
 不意に、温かさを感じた。いつの間にか彼女の手が重なっていた。
 いい匂いがする。これは香水の匂いだろうか。
 遠くから軽音楽部のヘタな演奏が狭く古びた校舎に木霊していた。それが余計に静寂を際だたせていた。 
 時折聞こえてくる運動部のかけ声。朽ちた木造校舎の匂い。周囲を舞う埃が夕焼けに照らされ視界をちらつく。
「少しでも君に会いたくて、無理して早起きしてたんだよね」
 教室はこんなにも広かっただろうか。いつも通っていたはずの教室は、彼女が近づいただけで全く別のものへと変貌していた。 
 きぃ、と椅子の軋む音が響いた。
 我知らず、後ずさっていたらしい。
「なんでだろうね。いつも一緒に居たのに……。
 こんな事ならもっと君とお話しておけばよかったね……」
 消え入りそうな声。
 彼女は――顔を伏せ、それっきり黙り込んだ。長い黒髪のせいでその表情は伺えない。
 静寂が張りつめていく。重なった手から感じられる温かさが、物言わず、しかし雄弁に何かを要求していた。
 耐えきれず、彼は言葉を吐いた。
「本当に、転校するのか?」

 さらっと書いてみたけどあまり上手くないなぁ。うがー!最近書いてなかったから確実ににぶっとる!!!!!
 まあそれはともかくとして、同じ教室で、同じキャラクターを配置していても、見えてくるものは違ってくるということ。
 それでなおかつ、後者の文章だと彼女と会話しているにもかかわらず、描写されるのは校舎の匂いとか、響いてくる音とかばかりで、彼女に関する描写が省かれている。
 これは、教室で彼女と二人きりという状況下にもかかわらず、彼は彼女の方を見ることが出来ず、視線が泳いでいることを表している……つもりである。
 で、「お話ししておけばよかったね……」のところで初めて彼女の方を向いている。けど、彼女は顔を伏せていて結局表情は分からない。

 視点の動きを映像作品だとカメラのフレームワークで描くことが出来る。あるいは、キャラクターの瞳の動きでなんとなく表せる。
 で、それを文章で擬似的にする場合にはこんな感じでやってるのだが――しかし、得てしてこういうことを考えて文章を書いても読者には別の様に受け取られる可能性が高い。
 それはそれで書いた本人にも気付かない世界の広がりがあっていいのだけれど――カメラのフレームワークに類する視点移動を暗に流すのは回りくどいだけかなぁ、と最近思ってきたり。
 とはいえ、率直に……。


「知らなかったの? いつも朝の教室には君と私の二人しかいなかったんだよ」
 彼女と手が重なった。凄くドキドキした。どうにも上がって彼女の方を見れない。
「少しでも君に会いたくて、無理して早起きしてたんだよね」
 僕は何も言えず、ただ視線を中に泳がせることしかできない。
「なんでだろうね。いつも一緒に居たのに……。
 こんな事ならもっと君とお話しておけばよかったね……」
 余りにも寂しそうな声だったので僕は思わず彼女の方を見た。彼女の長い黒髪が邪魔で彼女の表情は見えない。
 それっきり彼女はなにも言わない。
 どうすればいいのだろう。
 僕は途方に暮れて黙り込む。
 僕も彼女も何も言わない。
 結局、沈黙に耐えきれなくなった僕は口を開いた。
「本当に、転校するのか?」

 と一人称でさらさらっと書くのは私的には流儀じゃない。
 ……でもこっちの方が読者的にはいいのかな?
 まあ、小説でフレームワークやカメラワークを試行錯誤する必要はないのだが、そこは演出の趣味ということで。