No Music, No Life

 のだめカンタービレのアニメ版を見る。
 やはり、音楽ものはいい。それだけで魂が昂揚する。
 というか、OPの「SUEMITSU&THE SUEMITH」がとても好きなので朝っぱらからずぅぅぅっと聞きっぱなしだ。
 2話の「そうか、こいつはピアノで指揮してるんだ」の下りとかとても好き。
 後、3話は千秋が楽譜書いてるのもなんかそれだけで昔の自分を思い出す。

 しかし、私はどうしてこんなにも音楽が好きなのだろう。よく分からない。
 恐らくみんなが一番音楽に夢中になる中学・高校の時は全然音楽を聴かなかった。そりゃ……貧乏で金がなかったし、CDを人生で初めて買ったのは 20歳過ぎだ。それまでは口でいい加減な鼻歌を常日頃から歌う事で安上がりにごまかしていた。……ってCD買う金ないくせに音楽にはしがみついてるではないか、私。まあ、CD1枚買う金があれば本が二冊買える、それが貧乏人的認識である。確か、カラオケに初めて行ったのは親に連れられて中学の時に一度だけ行き、浪人時代に更にもう一度行き、えーと、東京にファンキィナイトに参加した時に一度行き、21歳を過ぎてから、年に3回くらいカラオケに行くようになった。それだけである。この人生でカラオケの回数を総括すると大体18回くらいしか行ってない。少なくとも20を越えてない自信がある。

 しかしながら、私の書く物語には必ず音楽というものが不可分で、そこかしこに何かしらの音楽アプローチが隠されている。
 私が小説を書いてて、「文章がノってるな」と感じるのは「詠(うた)うような文章だ」と自分的に感じた時だ。語りかけるように、歌いかけるように、ただ文字を、言葉を書き連ねていくのは快感だ。文章にリズムが刻めるとそれだけで踊りたくなる。
 はたして、はてして、はてさて、はてはて、いかにして、何故、どうして、どこから、なにゆえに、何故に、私は音楽を好むのだろう。少なくとも、私は数多くの音楽好きのように毎日音楽を聴いてないと辛いとか、禁断症状が出る、とかそういうことはない。何か小説を書く時は無音な方が集中できる。というか、音楽を流していたら、そっちの方に気を取られてしまう。
 でも、ふと何もすることがなく、何もする気力がなく、ただただ寝転がっている日々の日常の間隙のような瞬間――ふと、何かを口ずさんでいたりする。
 小説を書いていて、きっとこの小説にはこんな歌が似合う、この物語には透き通るような歌声が絶え間なく流れている、とか思う事がある。
 私の中の世界観には音楽がある。それは間違いない。
 思えば、我が父は小学生に上がった時から私をヤマハのエレクトーン教室に通わせた。おかげで小学一年生で楽譜も読めるようになったし、軽く鍵盤も叩けるようになった。
 ただ私は練習をしなかった。無駄に記憶力を余らせていた私は愚かにも一度楽譜を読んで「なるほど、この曲はこんなのか!」と読み解いてそこで満足していたのである。それで、頭の中では完璧に演奏するイメージだけが浮かび上がるものの、私は生来の不器用であり、脳内イメージとは裏腹に演奏はてんで話にならないものだった。
 とはいえ、脳内の自分は何故かすらすらと弾いてるのでどうにも練習をする気が起きない。この曲はどんな曲で、どこに気をつけて弾けばいいかは分かる。だが、体がついていかない。何度も練習してその体に叩き込まなければならないというのに、曲を聞いて理解した時点で私は満足してしまったのである。
 結果、小学二年生でエレクトーン教室は辞めさせられた。周りの大人達には散々何故真面目にしないのか、と叱られたがその時の私は自分から音を奏でる事に余り熱中しなかったらしい。あの時代の私は、ただただ自由帳に漫画を書きまくることに熱中していた。あの頃の私は漫画家になると息巻いていた。……まあ、それはどうでもいい。
 私の父はギターが好きで、自分でもよく弾いていた。後々聞いた所によると、私にエレクトーンを習わせたのは将来ギターを教えるための練習としてだったらしい。まあ、高校生になり、自分の息子にギターを教えるつもりだった時期になった時は家は借金まみれでギターを教えるヒマなど全く持ってしてなく――私は擬音ソングを口ずさむ訳分からん男になっていて、小説家になるんだと騒いでいた。

 しかし、昔書いていた小説とか読み返すと、何故かキャラクターが歌っていたり、詩を書いていたりする。いや、それは今も変わらないか。あえて言えば、昔ほど露骨ではなくなった。

 音楽は物語だと思う。あらゆる音が組み合わさり、一つのストーリーを奏であげる。私は昔から物語を作ってきた。物語が作れるならば、吟遊詩人でも、小説家でも、漫画家でも、ゲームクリエイターでも、私は拘らない。自らの奏でるストーリーを人々に聴かせてやるのが私の何よりの望みだ。
 とはいえ、そんな数ある表現の中でどうしてこうも音楽に惹かれるのか。きっと私の中で音楽は最も根源的なストーリーの表現手段なのだろう。映画であろうと、小説であろうと、漫画であろうと、目をつぶっていればその良さはほぼ分からない。伝わらない。
 けれど、何も見えない暗闇の中――不意に流れてきた音楽に人は涙を流したり、あるいは歓喜することが出来ると思う。
 哲学者とは――見えない何かを信じるということだと思う。
 愛情や、友情、感動、苦しみ、哀しみ、楽しみ――これらの目に見えない何かを人はどれだけ理解できるだろう。
 ――でも。
 ――それでも。
 星すら見えぬ闇の中、音楽はきっと私達の心に響いてくる。
 だから、私は歌いたいと思うのである。