物語の形式

 大抵の物語は3つに大別される。

1.守る
2.愛す
3.探す

 以上の三つである。
 それぞれ考えていこう。

●守る
 主にこれはマクロ(広い視野)での問題解決。
 つまりは、「世界を救う」「国を守る」「土地を守る」など。
 自分以外の「環境」などを保護しようとする話。
 恋人を守ったりするのはどちらかといえば「愛す」の方。
 ともかく、人間てのは身近なものしか守れないのに、世界の危機とか、亡国の危機とか、廃部の危機とか、何故か大きな使命を背負わされたりする。
 そこにあるのは巨大なモノに対する戦いというダイナミズムである。

●愛す
 主にミクロ(狭い視野)での問題解決。
 恋をしたり、結婚したり、その為に恋敵と競争したり、お父さんに土下座して娘さんを貰おうとしたり、泥棒猫とか言ってくるお義母様と戦ったり、逆に恋されてどっちかを選ばされたり。
 こちらは視点だけで言えばとても身近なので人間としてはやりやすい。だが、それだけに問題は根深いものになる。理屈では解決出来ない人間の感情がドロドロした関係を形成していく。

●探す
 理想郷を探す、新天地を探す、本当の自分を探す、真実を探す、失ったものを探す、犯人を捜す。
 こちらはマクロのパターンとミクロのパターンと二通りあるが、やることは一緒なので統合。
 ともかく、自分の中の疑問を解決するために行動をする。グランドラインを踏破したり、母を訪ねて三千里旅したり、自分の亡くした記憶を探したり、密室で起きた謎を解いたり、犯人を捜したり。
 ただこの場合は他と違って、探し終わった後の方が基本的には重要。犯人を見つけて物語が終わるのは基本的に推理小説などミステリーものと古典的な宝探しもののみである。
 現代の宝探し物だと、宝を見つけた後その宝をどうするか、その宝には呪いがあったり契約があったりして云々かんぬんでややこしくなる。


 以上、基本はこの三つで物語は構成される。
 無論、これらは独立して存在する訳でなく、大抵は「守:3/愛:6/探:1」か「守:6/愛:3/探:1」くらいの割合で混在している。ミステリーは「愛:3/探:7」くらいか。
 もしかしたら何か見落としてるかもしれないので、こんなのあるよー、と気付いた人は後で教えて欲しい。まあ、後一つ付け加えるのならば「成長する」だが、成長はどちらかと言えば上の三つとはまたベクトルが違うと思う。「守/愛/探」が縦軸として、成長は横軸だろう。ちなみに横軸は「成長/戦い/喜怒哀楽」といったところか。

 で、ここ数年流行った「セカイ系」と呼ばれる小説は「世界を守る=ヒロインを愛する」に繋がる形式。ヒロインが世界を救う巫女だったり、ヒロインが神様だったり、ヒロインがマジックアイテムだったり、帝国の皇女だったり、亡国のお姫様だったり――。彼女を救おうと思ったら世界もついでに救わないといけないという二重構造。主人公はこのセット販売に騙されて購入特典の世界の危機をなんとか救わないといけない。
 その場合大抵
「その女を抱えている限り、お前は一生戦い続けることになるのだぞ」
 と言われて
「それでも、彼女を守る」
 と言わされる。
 つまりは、どれだけ辛くても女の子を愛せるかという話を書いてるうちに「家庭環境が最悪な女の子」が拡大していき「国家の命運を背負う女の子」→「世界の命運を背負う女の子」とステップアップしていったのである。
 無論、逆パターンもある。
 世界を救う為に戦ってる勇者に女の子がついていくパターンである。惚れた相手が王子様で、しかも滅びかけの国の王子だったり、没落貴族だったり、――まあ、影のある男に惚れるのは女性にはままあることなのであまり列挙しなくていいだろう。
 しかしまぁ、「守る」と「愛す」は「世界と自分」「他者と自分」との関係性の問題なのだが、そんな関係性が嫌になって自己の殻に閉じこもって自分探しに出ちゃったりするのが90年代からの傾向。
 とまぁ、ここまではよくある話。
 現在までに色々な人が語り尽くして来たこと。

 で、問題はこの先である。
 私達はどういう物語を追っていくのか。
 つまりは、作家志望の私はどんな話をかきゃ売れるかってことである(酷)。
 最近はもう、リバイバルと続編ばかりで新しい物語というものがあまり出てこず、去年流行った涼宮ハルヒの憂鬱ですら「メタ」作品である。(※メタ――既存のモノをモチーフにして別の作品を作ること。まあ、オマージュやパロディが沢山ある作品とかそう思えばいい)
 時代はまさに再生産。
 昔流行ったモノを焼き増ししたり、作り直したり、解釈しなおしたり、似たような作品を量産する時代である。
 もっとも、大抵の物語は昔あったものを改良発展させたものがほとんどである。今ある漫画も八割方は手塚治虫先生のリバイバルばっかりとも言える。(残りの二割の日常ほのぼの漫画は「ぼのぼの」のリバイバル……かな?)
 流行とは何か一つ爆発的に売れた物を模倣しつつ、改良を加えるモノなので――結局は新しく流行るモノを探すってのは新しくリバイバルするものを探すこととも言える。
 でも、どうせならばコピーする側よりはコピーされる側になりたいと言うのが人情というもの。
 まー、オタク界隈で言えば、「燃え」→「萌え」→「?」の「?」を作りたい訳である。
 で、言うまでもなく世界中のクリエイター達はそれを今必死で探している。もがいている。
 なので私個人が今更どうこうあがいてもあれなのだが、思いついたので備忘録として残しておく。

そんな訳で

 こういう類の文章は何度も書いているのだけれど、その度に結論は出ません。
 でも、考えたと言うことを再整理するためにいつも書き起こしておきます。
 私がこんな事を書いてるのを見るのはたぶん、長い付き合いの人なら三回かそこらか読んでてまたそれか、て思うでしょう(笑)
 しかしながら、人は忘れる生き物なので、定期的にこういうことをするのです。反復は意外と大事だと思うのですよ(笑)